ちょっぴりスピリチュアル・ 素顔のアリアな日常
精神世界と仲良しな、ファミリーの日記 サイキックなクマ系パパと おっちょこちょいな15歳のお姉ちゃんミドリ(ペンネーム?)と ギャングエイジな6歳児・ハナ(ブログネームなの)と暮らすママの日常生活
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ふと思う事
時々、思う事があって。
子供を妊娠すると、直感が鋭くなるっていう言葉を
日頃何となく耳にする機会がある。
ああ、皆、赤ちゃんを守らなければ!という母性が強くなるからね。
本来の能力が出てくるっていう事なんだろうね。
それにしても、私の場合。
時々ミドリに
「お母さんが言うと、本当にそうなるから止めて!」
と言われることがある。
反抗的で言う事を聞かないと感じる事が多かった娘であるが、
これは本気でそう思っているようだ。
何の事はない、体調に関することで私が言った後、本当にそうなる事が重なったようだ。
別に普通の母親が普通に子供を見て言うだけの話だと思うのだが、
時々、「これは気をつけなよ。」と何となく言う言葉にもびびっている。
母親として普通に注意する場合もあるし、何気なく感覚で言う事もあるのだが、余りに過敏に反応するのは頂けない。
とにかく気をつけなさい、と言うのは、ミドリは私から見るとボーっとしているように見える事があるからなのだが。
実際に、彼女は生活の中で私が言った事が「当たる」と思っているようだ。
そうか…それならもう少し、母の言う事を聞きたまえ。
もう少し、母親の母としての威厳を敬いたまえ。
それで色々考えていて思い出したのであった。
ミドリは元々生まれつきの弱視で、眼鏡で矯正をしたのが3歳児検診後である。何だかおかしいなと思って、自主的に大学病院に連れて行って分かった。
お陰で6歳頃には弱視は矯正され、現在は乱視に近視というありがちな眼鏡っ子になっている。
3歳になる前、ミドリの目の悪さに気がついていなかった頃の事。
風邪で病院にミドリを連れて行ったときに、眼鏡をかけている子が視野に入ってきた。その眼鏡がかなり度が入っているような感じだったのだが、なぜか「ミドリがかけるようになったら嫌だな。」と思った。
何でそう思ったのかも分からない。
しかし実際には、そのほんの数ヶ月先に眼鏡が必要だと判断された。
実はこういう事は一回だけではなかったような気がする。
こうなったら大変、と感じるとそうなってしまうような…事が続いた時があった。もちろんそれは、良い事の場合もあったかもしれない。
そして、私は、その頃…
こんな直感なら要らない!
と強く思ったのだ。
嫌な想像が当たるのが、相当私的に気に入らなかった。
そう、そんな訳で、最近の私は子育て中に不要な不安を排除している事に気がついた。
これは私の中では成功していると思う。
成功していると思っていたのだが…
ミドリに度々言われると、また別の意味で???と感じる。
子供に要らない不安感を与えるのは良くないのかもしれないけど、
自分で気がつくように、自分を守る方法を教えるのも大切なように思ってしまう。
ネガティブなパワーはよろしくないと思うので、
ふとマイナスになった時の自分を持ち直すには…
やっぱり笑いが一番ではないかなと感じるのであった。
子供を妊娠すると、直感が鋭くなるっていう言葉を
日頃何となく耳にする機会がある。
ああ、皆、赤ちゃんを守らなければ!という母性が強くなるからね。
本来の能力が出てくるっていう事なんだろうね。
それにしても、私の場合。
時々ミドリに
「お母さんが言うと、本当にそうなるから止めて!」
と言われることがある。
反抗的で言う事を聞かないと感じる事が多かった娘であるが、
これは本気でそう思っているようだ。
何の事はない、体調に関することで私が言った後、本当にそうなる事が重なったようだ。
別に普通の母親が普通に子供を見て言うだけの話だと思うのだが、
時々、「これは気をつけなよ。」と何となく言う言葉にもびびっている。
母親として普通に注意する場合もあるし、何気なく感覚で言う事もあるのだが、余りに過敏に反応するのは頂けない。
とにかく気をつけなさい、と言うのは、ミドリは私から見るとボーっとしているように見える事があるからなのだが。
実際に、彼女は生活の中で私が言った事が「当たる」と思っているようだ。
そうか…それならもう少し、母の言う事を聞きたまえ。
もう少し、母親
それで色々考えていて思い出したのであった。
ミドリは元々生まれつきの弱視で、眼鏡で矯正をしたのが3歳児検診後である。何だかおかしいなと思って、自主的に大学病院に連れて行って分かった。
お陰で6歳頃には弱視は矯正され、現在は乱視に近視というありがちな眼鏡っ子になっている。
3歳になる前、ミドリの目の悪さに気がついていなかった頃の事。
風邪で病院にミドリを連れて行ったときに、眼鏡をかけている子が視野に入ってきた。その眼鏡がかなり度が入っているような感じだったのだが、なぜか「ミドリがかけるようになったら嫌だな。」と思った。
何でそう思ったのかも分からない。
しかし実際には、そのほんの数ヶ月先に眼鏡が必要だと判断された。
実はこういう事は一回だけではなかったような気がする。
こうなったら大変、と感じるとそうなってしまうような…事が続いた時があった。もちろんそれは、良い事の場合もあったかもしれない。
そして、私は、その頃…
こんな直感なら要らない!
と強く思ったのだ。
嫌な想像が当たるのが、相当私的に気に入らなかった。
そう、そんな訳で、最近の私は子育て中に不要な不安を排除している事に気がついた。
これは私の中では成功していると思う。
成功していると思っていたのだが…
ミドリに度々言われると、また別の意味で???と感じる。
子供に要らない不安感を与えるのは良くないのかもしれないけど、
自分で気がつくように、自分を守る方法を教えるのも大切なように思ってしまう。
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ふとマイナスになった時の自分を持ち直すには…
やっぱり笑いが一番ではないかなと感じるのであった。
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女性
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二児の母です。精神世界をごく自然の事として育ち、楽しみながらHPを運営してきました。
現在更新は遅れ気味ですが、日々の日記としてブログを利用しています。
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私も、目が...
それよりも数年前、テレビで緑内障の恐ろしさを特集しているのを見て、怖くなって眼科へ行ったけどそのときは特に異常ありませんでした。
でも、それ以来、何となく自分には緑内障の素質(?)があるような気がしていました。
2年前、何となく「目」のことがまた気になって、数年ぶりに眼科へ行ったところ、今度はしっかりと緑内障のお墨付きをいただいてしまいました。
でも、医者からは「とてもラッキーだったと思ってください。」と言われました。もし、2年前の旧式の機械で検査を受けていたら、見逃されていただろうと思われる位ごく初期の段階で緑内障が発見されたんです。つまり、私が再度眼科へかかったのはベストタイミングであり、それより早くても遅くてもNGだったわけです。
「嫌な直感が当たった」と言われれば、まあ、そうなんですが、ごく初期段階で見つかったので、失明は免れました。
…ところで、私、お箏(こと)弾いているんですけど、お箏始めた時期と、緑内障が発覚した時期が同じ頃なんです。なんでお箏と緑内障が関係あるかっていいますと…、お箏は、昔は盲人の楽器とされていたんですよね。有名な箏奏者のほとんどは、盲人です。つまり、もしかして私、前世では目の見えない箏奏者だったりして…なんて。
そんな事は確かめようがないけど、最初から緑内障になる運命であったのなら、ごく初期段階で発見されたことには、ラッキーであったと思ってます。
Re:私も、目が...
何となくご自分の身体からの信号をキャッチしていたと言うのか…メッセージを受け止めていたというのか…。緑内障を自分で見つけるのは難しいと思います。本当に良かったですね、早く分かって^^うーん。
お琴の事については、ロマンさえ感じます。過去世でやっていたのなら、確実に上達が早いかも。色々な感情が癒されていくと良いですね。
音楽の癒しの力も素晴らしいですもんね!
無題
…本当は後悔してるんです。お箏を始めた事に対してじゃなく、始めるのが凄く遅かったことに対して。
かといって、前世のからみで「お箏始める条件」が緑内障と引替えであるならば、もっと若い頃から緑内障になっていてもよかったのかというと、それは…(無言)。
前世が存在するかどうかは「あり得る」とは思うけど、まだはっきりとは解明・証明されてません。「エンジェル饅頭」を名乗っていながら何ですが、”スピリチュアル”を考える時は、まず常識や現実上の視点で疑ってからにしてるんで。
”天使”っていうのも、基本的には信じてないです。(ゴメンナサイ!)
緑内障等で失明する人がたくさんいるのに、なぜ、自分のはこんなに初期で発見されたのか、助かる人と助からない人の差は一体、何なんだろ…。自分はラッキーだったと感謝はするけど、どんなに”聞いて”も教えてくれないので、悶々としてます。(イライラ ><;)
Re:無題
科学的に解明っていうのがそもそも偏っているものだから。科学は大好きですけどね。
私は目に見えないものの中にも真実は見え隠れしている、と考えているので…それが物質主義に傾いてしまっている現実とのギャップなのかもしれません。
目に見えない世界だけが総てではないし、目に見えるものだけが総てではない、そのバランスを見ているのが楽しいです。まあ、イラッとする事もありますけどね(^^;
もちろん、現実を生きる事を避けてスピリチュアルを語っても、生きている意味がないですもんね。
私も疑り深いので、「なんでよ~!」と葛藤しながら過ごしております。
自分の中にある答えを見つける事、自分とはいったい何者であるのか、これが究極の問いであり探しているものなのかな~と思うのです。
こんな風に言っても、分かったわけではございません。